今日は以前から気になっていた鹿児島駅北部ある公園、多賀山公園に行ってきました。
石橋公園の北側あたりですね。
急な坂を登って多賀山公園に辿り着きました。
チャリを置いて公園内をふら~っと歩いていると階段の上の方に…

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彼がいらっしゃりました。
と言うか階段狭っ!

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改めまして、東郷平八郎の銅像でございます!

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銅像アップ。

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正真正銘東郷平八郎像です。
昨日多賀山公園を地図で調べていたら東郷平八郎像の存在を知り是非ともカメラに収めてみたくなったんですよね。
行って正解でした。

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東郷さんが向いている方を撮影。
鹿児島市の風景を見ておられます。
以下Wikipediaより引用。
東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1847年1月27日)-昭和9年(1934年)5月30日は、日本の武士・薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人である。
階級位階勲等爵位は元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵。
明治時代の日本海軍の司令官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた。
日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時屈指の戦力を誇ったロシアバルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を広く知られることとなった。
当時、日本の同盟国であったイギリスのジャーナリストらは東郷を「東洋のネルソン」と、同国の国民的英雄に比して称えている。
日本では、大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により日本を勝利に導いた世界的な名提督として、『陸の乃木 海の東郷』と乃木希典陸軍大将と並び称され、日露戦争の英雄として国民の尊敬を集めた。
となっています。
社会の教科書などで東郷平八郎の存在は知っていましたが、ここ多賀山公園にその像があるとは夢にも思っていませんでした。
上にも書いてある通り、日清・日露戦争で活躍し、他に薩英戦争や戊辰戦争などの戦いでも活躍していたんだそうです。
自分は鹿児島の英雄と言ったら西郷隆盛や大久保利通を思い浮かべるのですが、こうやって彼の過去を見てみると明治時代日本を勝利に導いており立派な英雄だと思いました。
もう少し鹿児島の英雄として大々的にしてもいいと思います。
東郷平八郎についての詳細はWIkipediaへ

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銅像を見た後は再び階段を降りて桜島と錦江湾を見てみました。
そしたら潜水艦が錦江湾にいました。
というか写真の奥の方にも潜水艦居ないですか?
桜島フェリーに乗った時などに頻繁に潜水艦を見かけます。
鹿児島って海上保安関係の拠点みたいな場所になってるんでしょうかね?

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鹿児島駅俯瞰。
右側が鹿児島駅でゴルフ場の奥に見えるのが鹿児島貨物ターミナルです。
国鉄時代、目の前の石橋記念館とゴルフ場のあたりには鹿児島機関区が存在していました。
機関庫もあったそうです。
貨物駅も昔はもっと規模が大きくいくつものホームが存在していたそうです。
鹿児島港への臨港線もあったそうです。
今の姿からは想像できないですよね。
以前貨物駅横には何本もの貨物線があったのですが現在は空き地になっています。
今後いい活用法はあるのか…?

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鹿児島駅アップ。
一番左側のホームが同駅止まりの1番のりばです。
休止中の扱いだったと思うのですが今後使われることはないと思います。
駅には使用されなくなった475系4編成が保留されています(籍はまだあったはず…)。
長いこと動かした様子もなく機関車牽引も走行が可能なのか疑問です。
これらもいずれは廃車でしょうね。

ということで東郷平八郎像紹介でした。
ここ多賀山公園はカゴシマシティービューの石橋記念公園前バス停を降りて100,200メートル山を登った所にあります。
看板とかもあったと思うのですぐわかると思います。
鹿児島に来た際には東郷平八郎像を見たりかつての鹿児島機関区を俯瞰したりするのでここ多賀山公園を訪れるのはいかがでしょうか?

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